悪知恵の働くやつのセリフ

作家大沢在昌おおさわ・ありまさ)氏の新宿鮫シリーズ、意外性のある展開で、何冊か読んでいます。このたび出た第9巻「狼花」(光文社2006年9月単行本刊)の484ページに以下のようなくだりがありました。

「やくざは決して、『上の指示』で犯行に及んだことを認めないからだ。
たとえ一面識もない被害者に対してであろうと、やくざは、『人間として許せないと思った』とか『話しているうちになめられていると感じ、かっときた』という動機を語る。どれほど見えすいた言葉であっても、自供しているなら裁判ではそれが証拠として採用される。殺人の背後関係が暴かれることはない。
組織がしっかりしていればいるほど、こうした見え透いた殺人の動機がまかり通る。暴力装置としての凶悪さがそこにある。」

殺意をぼかし、殺人ではなく傷害致死で罪を軽くしようという狙いがあるからだそうです。なるほど利用できるものは何でも使おうという精神に満ち溢れている態度が貫かれているのです。もっともそれで刑がだいぶ違うなら、それなりに必死の発言でもあるのでしょう。こう自供したということで「証拠」とされても、それだけで判断されることがすべてではないでしょうが。

しかし、あることに気づきました。さきほどのセリフは、自分の主観的思いだけの打ち出しです。言葉としてふりまわすだけでも、注意していかねばということに。

以上 (与謝名阿寒) 060925