矢野絢也「闇の流れ 矢野絢也メモ」を読みました

書店の店頭で、「闇の流れ 矢野絢也メモ」(講談社+α文庫 2008年10月刊)を手に取り購入しました。初の出版ではなく、1994年9月文芸春秋から刊行されたものを文庫収録にあたり、加筆・修正したものでした。私にとっては、初めて目にする本でした。

矢野絢也(やの・じゅんや)氏は、1932年生まれ、創価学会員として公明党の書記長委員長を歴任した人です。彼の、政界時代の他の政党も巻き込んだ抗争劇を、当事者として語っていました。月刊誌文型春秋に連載され、1994年に出版されたものの内容です。よほどのメモ魔とみえて、個々の発言もふくめて克明かつ明快で、構成への証言ともいえるものでした。

中でも、創価学会が引き起こし、竹入氏矢野氏が収拾に走り回った、藤原公達氏への言論出版妨害事件、宮本顕治日本共産党委員長宅盗聴事件は、まことに臨場感あふれる生々しい証言です。
「竹入の『言論問題、中国問題で世話になった』という発言はたしかにそうで、昭和44年から昭和46年にかけて藤原弘達(ふじわら・こうたつ)氏が創価学会批判を繰り返したときには、私と竹入氏で田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は『よっしゃ』と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。」(57ページ)

40年近い前のことですが、世間に喧伝された大問題になり、藤原氏が筋を通してがんばり、結局創価学会が誤りを認めて落着した事件でした。その影にはこんなどろどろした動きもあったことを知らされました。矢野氏は汚れ役もいとわぬ活動をしていたのです。

もともとの本のことが問題視され、矢野氏が創価学会を退会し、創価学会に対し訴訟にふみきった経緯や思いが、文庫になるに際して付け加えられています。「はじめに 権力抗争の裏面史」「序章 創価学会公明党が恐れるメモ」、末尾資料の2008年5月の訴状などがそれでした。内容的にすでに本にもなっていて10年たったことが、どうして今不都合と攻撃されることになったのかは、私にもまったく不可解です。しかし矢野氏の言うことがそのとおりであれば、訴訟してでもという本人の気持はわかるような感じがしました。

与謝名阿寒氏が、昨年10月に「運命の人」文芸春秋連載のことをこのブログに書き、たまたま矢野氏の手記が掲載されていた号に言及していたことがありました。読んでいて途中でそのことを思い出し、この本を手にするきっかけになったのは、そこに遠因があったことに気づかされました。以前の文芸春秋に連載され同社から単行本にもなったことについての「攻撃」だからこそ、改めて文芸春秋が発言の場を提供したのだということが今回私にもわかりました。

過去の言動は問われる時代になったとの思いを深くしました。なにしろ、以前のことが調べればきちんと残っており、それは正しかったのか、間違っていたのかということが検証される時代になったのです。しかもそうしたことが表面にでれば、多くの人が知る時代にもなりました。たとえば経済学者クルーグマン氏の10年前からの発言が、日本でもそれが正しかったかどうかで、本がでるいまなのです。なあなあまあまあで済まされないことは、後ででもその決着が求められる現在なのでした。

あわせて「人の口に戸は立てられない」時代にもなったことです。そのことも含めて、世の中は良くなっている、良い社会になっている、という面も指摘できそうです。これにも、ひょっとしたら、藤原弘達氏への言論妨害事件のことも、藤原氏が筋を通したことも、今に効果を及ぼしているのかもしれません。

以上 (あほうどり) 090120