湯浅誠「反貧困」が私になげかけたもの

岩波新書で「反貧困 −「すべり台社会」からの脱出ー」が昨2008年4月より出版され、注目もされ話題にもなっています。著者は湯浅誠氏、意欲に満ちた人であるようです。年末年初の東京日比谷公園で実施された雇い止めとなった派遣労働者への救援活動でも先頭に立つひとりとしても活躍していました。

私も年を越してからですが、買い求め目を通しだしました。ざっと読みをしたのですが、とてもそんなことでは私の歯の立つ本ではないことがわかり、どうしたら少しでもかみくだけるだろうか(ちゃんと内容を理解できるかもあります)が、今の課題です。

とにかく日本語の本ですから、本人の書きぶりも難しいものでもないので、読めることは読めるというのです。でもかみくだく力がなかったのです。こう言っているがどうなのだろうか、正しい指摘なのだろうか、どう受け止めることが必要なのだろうか、などですっかりとまどってしまいました。

たまたま読んでいた書評からの認識ではとても示しきれていない(私の書評での印象が間違っていたのですが)、中味の濃い、しかも誰にとってもつながってくる問題提起の書だったのです。それがコンパクトな新書につまっていました。

湯浅氏の視野と展望は広く大きなものがあります。現実を見る暖かいまなざしも。そして提起していることは、みんなが取り組まなければできないことも認識して発言です。外野席にいることはできない、許されないようだ、とのことを穏やかに語っています。

だからこそわけもわからず読んだ私のような読者(わたしだけかもしれません)はとまどうのです。本当に正直なところです。

湯浅氏はそのこともわかっているのかもしれません。次のように述べています。
「『このままではまずい』と『どうぜ無駄』の間をつなぐ活動を見つけなければならない。そうした活動が社会全体に広がることで、政治もまた貧困問題への注目を高めるだろう。関心のある人たちだけがますます関心を持ち、関心のない人が関心のないまま留め置かれるような状態を乗り越えたい。貧困は誰にとっても望ましくないもの、あってはならないものである。ここでこそ、私たちの社会がまだ『捨てたものではない』ことを示すべきだ。」(まえがき より)

湯浅氏は「捨てたものではない社会」を「強い社会」と表現しています。そう変わるためには容易なことではないことは、私にもわかります。じゃあそれを受け止めて自分は何をすればよいか、ということにつなげなければならないのです。

湯浅氏ご本人は、このような人間にも決してあきらめず、期待をしているお人柄のようです。かえってそのほうが、説得力につながっているのでしょうか。時代のいろいろな状況が反映している、真摯な問いかけであることだけは理解しました。これも「捨てたものではない」ことではないでしょうか。「後世おそるべし」との言葉をかみしめた機会でした。いつになってもstudy(2008年ノーベル物理学賞益川氏)です。

しかし、湯浅誠氏にとどまらず、いろいろ発言をし、行動する人が新たにどんどんひろがっているのは心強いというべきでしょう。しっかり胸を借りていく気持をこちらは失わなければよいのですから。

以上 (あほうどり) 090226