時代の変わり目(GM経営いきづまりの意味するもの)

アメリカ時間の6月1日(日本では6月2日に入ってから)、米自動車メーカゼネラル・モーターズ(GM)が米連邦破産法適用の申請を行いました。経営のいきづまりです。オバマ米大統領も緊急演説、重大事態であることがわかります。

GMは周知のとおり、世界最大の製造業として君臨してきました。米国経済の大きな担い手でもありました。規模が世界一の企業としても知られてきました。その経営破綻、まことに意味するものは大きなものがあります。

世界経済危機の只中の出来事です。しかしGMそのものの問題がありました。まず、自動車産業の市場とニーズの変化に対応できなかったことがいえます。さらに経営姿勢の問題もありました。どんなに大きな企業でもその産業の推移や盛衰のなかでは、消滅することもあるとの、典型例をつくりました。資源多消費型経済システムにたいしても、警鐘を鳴らすものとなりました。

でも、これ以上に私がいいたいのは、新しい時代の幕開けともいえる象徴的出来事に加えられることでもあると思っていることです。

昨年のリーマン・ブラザーズ破綻でのいわゆる「カジノ資本主義」破綻、さらにGMです。アメリカ型資本主義の限界と役割の終わったことを示したのではないでしょうか。そうだとすれば、どんな次の時代がくるのか、どうそれにそなえなければならないのか。

ここまで発想を広げていかないと、単に現象に右往左往することになりかねません。

「変化には変化を」。もとよりわかっているわけでもまだありませんから、まず見極めてが、今後の課題です。ある程度の腹積もりから、具体的な手を。こんなところでしょう。できたらいっぺんに、それだけ不穏な状況です。

「問題の本質は何か」、改めて私にも問われています。いい加減年を食っていますが、やりがいのある事態にめぐりあったと、考えねば、いままで馬齢を重ねた意味がありません。飛躍しますが、「鹿も四足、馬も四足」です。自分だけ助かろうとすることは一番駄目、狭くなくひとりよがりではない取り組みが求められています。

以上 (あほうどり) 090604