上杉隆『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか」にショック

2011年末で「ジャーナリスト廃業宣言」をした上杉隆氏(1968年生まれ)が、「新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか」をPHP新書で2012年2月29日出版しました。

本書は大胆でえんりょのない指摘にあふれていました。面白い内容です。そのなかで私が驚かされたこと反省させられたことをいくつか挙げてみます。

読んで私が一番驚いたことが、いわゆる鉢呂経済産業大臣発言(2011年9月11日経済産業大臣辞任のひきがねとなった発言)が、「マスコミのでっちあげ」とされていたことでした。発言したとされる9月8日の「懇談会」の隠し撮り録音を上杉氏が確認したところ、参加記者からふられた話への鉢呂氏の応答では新聞テレビで報じられたような具体的発言をしていなかったと書いています(98ページ)。「死の町」発言「放射能」発言がマスコミ他で大報道され、辞任したときは、残念だが遺憾きわまりない失言、辞任は仕方ないと私も思っていたのでした。それが果たしてどうだったかが我が身に問われることになりました。今の心境は、「自分も踊らされたのか(あるいは見る目をもちあわせていないのか)」と深刻に疑念を持つことになりました。残念なのは、こちらのようです。我が身にふりかかってきました。

小沢一郎氏に対するマスコミ報道に関する上杉氏の指摘も、グラッきたパンチになりました。これはたとえば小沢裁判についてもいろいろな論者の意見を集めて自分の視点をつくれなかったのかとの反省につながっています。「無罪」に驚いた私でしたが、驚くのは認識が浅かったからもありました。

インターネット時代における情報の受け取り方への言及も親切でわかりやすいものでした。「発信者がすべての情報の『出展』と『信頼性の度合い』を明らかにすることが、『情報リテラシー向上』につながる」(171ページ)など懇切なもので、うといものへの手引きとしてもありがたいものでした。

自身「原発容認派」(175ページ)と自称している上杉氏なのに、日本のマスコミの3・11以来の「震災原発報道」を痛罵しています。間違った報道に対する反省の無さを含めて。脱原発派も顔負けの鋭さです。しかしそれが報道というものかもしれません。違った意見、反対意見も視野に入れさせる、「オプ・エド」(正反対の意見ものせること)を例に出して読み手聞き手に考えさせるよう語っています。

上杉氏、ひとことではくくれない、幅の広さを持った人物のようです。坂口安吾の「堕落論」からの引用を冒頭部分においていることにも、あなどれなさを感じてしまいました。それに本人、膨大なメモ(46ページ 協力者などからもあわせ増え続けているそうですが)を手元にもち、発言をしているそうです。これもなかなかなことと思いました。

『3・11を境に「記者クラブによる洗脳」が一気に解けはじめた。インターネットメディアの発達が進むなかで、この流れが止まることはない。』(5ページ)と書いた上杉氏、小沢一郎起訴検討の検察審査会へ提出された捜査報告書(東京地検特捜部)がつい最近どこからか公開され大きな話題になっていることをどう評価しているでしょう。その報告書は担当検事により意図的に書かれたと今言われているものです。検察は作成検事をおとがめなしの態度と、最近新聞は小さく報じていました。ところが、とたんについ最近誰かがその内容詳細をインターネットで誰でも読めるようにしてしまいました。新聞・テレビや検察として匿名の公開ではとてもなさそうです。

2012年5月6日 前荷 進