今の時代を考える

いろいろ体験経験を経る中で、現代日本は、ふたつの点は言えると考えるようになりました。ひとつは、「人の口に戸は立てられない時代になった」であり、もうひとつは「この指止まれの時代になった」でした。40代でそう考えるようになり、今もも変わらずその考えを持ち続けています。

最近、それに加えてこういうこともあるのではないかと思うようになりました。見当違いなことになるかもしれませんが、忘れてしまわないために、触れておくことにします。

ひとつは「発言や見識は、あとあとまで歴史の検証にさらされる時代である。昔のこともなかなか忘れてくれるものではない。粘り強い追求で新たな日が当たればむしかえされる」です。最高裁エイズ事件の刑事判決で感じました。

もうひとつは「生きて生きる」ということです。いわゆる「死んで生きる」と言う言葉があり、これはなかなか重いものです。ソクラテス、キリスト、千利休などが思い浮かびますし、時代が近いと小林多喜二もあがってくるでしょう。それに比べてですが、今はそう重い覚悟を持たなくても言うべきことは言えるようになったとの気持からです。「死んで生きる」ことの内容や幅が広くなったということも言えるかもしれません。故箕輪登さんの晩年の生き様に接したことが自分の発想が変わるきっかけとなりました。

まだまだ、今だからということが他にもあるかもしれません。

以上 (前荷 進) 080414