ジョン・グリシャム「謀略法廷」

新潮文庫2冊でこのほど刊行されました(2009年7月1日)。日本語訳単行本としてすでに出版されていたかどうかは、私にはわかりません。書店で新刊として平積みになっていたのに目をひかれ、購入したのですから。ジョン・グリシャムは見た映画の原作者として、それから読んだふたつばかりの彼の小説があることで知っていました。原作は2008年に米国で最初の刊行でしょうか。

腰帯の文句、「全米280万部 富める者よ、さらに富め。グリシャム久々の本格リーガル・サスペンス」にひかれて購入したのでした。読み出してみると、着想設定がわたしには面白く、いっきに読み終わりました。意外だったことは、法廷が舞台であるにもかかわらず、法廷での勝ち負けはその中だけて決まるのではないということを、主題にしていたことでした。州の最高裁裁判官が選挙によって選ばれるところがあること、その選挙がある裁判を扱った(この場合はミシシッピ州に想定されています)州において生々しく「活写」されていました。

ひとことでいうと、「悪が勝つ」話です。多彩な群像劇で個性豊かな人物が登場しています。まだ読んでいない人に、わかったようなことを言うつもりはありませんので、印象程度の紹介と意見を述べることにします。

米国社会のある面を知るうえでは、参考になるでしょう。正確さはともかく(わたしの理解を超えることですから)、社会性ある題材です。米国の利権にかかわる政官財のトライアングルがえぐられています。そして強欲な悪徳資本家トルドーと彼の経営する問題ある大企業、さらに彼と企業を助ける諸団体・各種マシーン、たいへん興味深く設定され、描かれています。したたかなトルドーは、かっての工場の汚染事件の第1審での敗北から控訴審の逆転勝利により、さらに本人の富を増していきます。大金持ちだとどういうことが生活でできるかとの見本としても参考になるかもしれません。使っても使っても減らさない、使った金は見返りがちゃんとある、なかなか見事なものです。

解説で杉江松恋氏は「本書はアメリカ腐敗の現状を描き切った小説、グリシャムによるアメリ法曹界への鎮魂歌というべき作品なのだ」と言っていますが、読了後それには賛成しかねました。前段はそうかもしれません。しかし後段は建設的問題提起と私はとりました。隠れていた、政界財界の擁護組織とその活動実態をある程度広く示した意味でも。アメリカの民主主義のたくましさの反映、未来はこんな調子であってはならないとの警鐘警告が示されたものではないでしょうか。そうでなくては、全米280万部とはならなかったでしょう。

杉江氏の次の意見には賛成です。「たとえあなたがグリシャム・ファンでないとしても、この小説だけは読むべきである」

余談ですが、小説の最後の「作者あとがき」で、「作者は生まれ故郷の州を弁護したい気持ちに駆られているので、ここでそそくさと断りを添えることで、その任を果たそうと思う。」と述べています。批判的な題材で小説を書いても、故郷や母国に対する愛情と信頼にあふれた言葉ではないでしょうか。同時に、希望をも述べていると感じました。

大金持ちや取り巻きの描き方はステロタイプかもしれません。たとえ面白くする意味でも。でもいそうなありそうな描写です。裏でうごめく選挙コンサルタント、努力の甲斐あって莫大な報酬を手にします。それが表にでない金となっていく過程も、そういった職業の人たちが、なぜ粉骨砕身するかの良き例証となっています。

経営者トルドーとその傘下のクレイン科学の「勝利」は一時的なものです。抜本策をとらず、損害賠償保険も不備、これではまた訴訟に直面するでしょう。表面の糊塗でしかない勝利なのですから。苦労をいとわず、正義をつらぬこうという人は、小説の中の人々も現実の人々もいなくなったりするどころでなく、でてこないわけがないでしょうから。別な場面で続くのです。

今米国はオバマ大統領が誕生、国民皆保険を実現することを重要政策にかかげています。小説に書かれた被害者の惨状も健康保険制度の実施があった場合だったら、少しは違ったものであったでしょう。国民皆保険制度の日本以前の、過酷な実態はグリシャムの筆で生々しく描かれているのも、米国の国家的国民的焦眉の課題の存在を浮き彫りにしていました。

ひるがえって日本は場合はどうなのだろうか、これは杉江氏のもならず、私にとっても宿題となりました。

以上 (あほうどり) 090726