名護市長選挙の意味とは

沖縄県名護市長選挙の投票が1月4日行われ、新人の稲嶺進氏が現職を押えて当選しました。米軍普天間基地宜野湾市)移設候補地としての辺野古をかかえた名護市ですが、このたび移転容認派の現職から否認の立場の新人が当選です。移転の予定地となってから13年、過去3回はすべて移転容認派が当選してきました。今回、4回目でその流れが変わりました。

僅差とはいえ、これまでの基地容認派からの離脱もあり、保守革新を問わぬ米軍基地はもういらないとの声が勝利、この流れは沖縄県民の多数の声を示すものと考えられます。また、これまでの日本政府による「公共事業による利益誘導で、沖縄に基地を封じ込める手法は限界」(25日朝日新聞朝刊 解説)でもあるのかもしれません。大きな節目を教えてくれた選挙でした。根底には沖縄のおかれた実態に対する県民の思いがあったからこそで、戦後長きにわたってのねばりづよい声や運動の積み重ねのうえでもあるのでしょう。

2010年年明けから沖縄県から米軍基地を問い直す結果がしめされました。それに関しての日本のマスコミの反応は新聞に限って言えば以外に鈍いのではないでしょうか。朝日新聞の25日主張は、「『県外』探しを加速せよ」、読売新聞の主張は「やはり『辺野古』しかない」といった見出しです。現地の琉球新報沖縄タイムスと比べて、まことに傍観者としか言えないもののように感じられるのは残念です。日米同盟の必要性重要性といったことが、こうした大マスコミや政官界から聞かれますが、「日米同盟」といった言葉が、「日米(軍事)同盟」という意味合いで使われているような気持ちさえします。あいまいかつ正面からむきあわない態度ともとれます。

沖縄県の現実が痛みを伴っているなら、その痛みは日本の痛みのはずです。もっとも私も今頃そのことを認める気持ちになってきているのですから、けっしてほめられたものではありません。でも気づいたのがいつでも遅すぎることはないと、居直ることにしました。私のような人ももっと増えてほしいものです。

今、司馬遼太郎の明治時代を描いた小説「坂の上の雲」が、NHKテレビでドラマ化されはじまっています。その明治時代の先人、外国との不平等条約の是正に努力してきてもいました。スタートから50年経つ日米安保条約、それに伴う地位協定、これも見直しの動きがもっとあって当然ではないでしょうか。少なくとも直面する課題といえるでしょう。沖縄の声はそれも求めているのではないでしょうか。

「中央直結の政治でなければ、北海道はだめになる」と過去の北海道の国政選挙や道政選挙で声高に言われてきたことでした。戦後の大半そのはずの政治でしたが、今北海道の財政は、もっとも苦しんでいるものと言われています。沖縄県も税金の投入にもかかわらず、生活や経済は良くはなっていないそうです。何か考えなくてはならないようですし、理解を深めていかなければならないことがありそうです。

以上 (あほうどり) 100126