武富士、会社更生法申請の意味するもの

9月28日、サラ金大手「武富士」が会社更生法を申請しました。利息の過払いをしていた人々の返還要求に耐えられなくなってのことと報道されています。

かってサラ金は儲かって儲かってしかたのない商売でした。近代的なよそおいをした高利貸しであったわけです。しかしその勢いの絶頂期にはマスコミも問題を掘り下げてということもなかなかしませんでした。一説には巨額な広告費が批判の防波堤役を果たしたとも言われています。また銀行にとってはかっこうの貸出先だったとも。

無理な貸付、無理な取立てが社会問題として大きくなり、法的規制やしばりも時間がかかりましたが、されていきました。そのなかで銀行の参加に大手サラ金が組み込まれていきました。改名したところもありました。組み込んだところもそれなりの思惑もあったのでしょうが、それもううまくいかなかったようです。

代表的なものとして、名が通っていた武富士の破綻は、まことに象徴的に思えます。自分には「儲かればなにをしてもいいわけではない」ということの実例、「儲けだけで会社ははかれない」ということの実例となりました。

武富士から学ぶことはまことに多いと考えられます。誰からも問題点を指弾されてから、あの大会社でも何年でのあっというまの転落でした。まっとうな商売とは何かと思わざるをえません。また正論が受け入れられれば、世の中も変わる、動くという実例でもありました。曲折があるなかの過程でしたが。

掘り下げるテーマを与えられたニュースでした。

以上 (与謝名 阿寒) 100929