櫻井よし子氏講演を聞いて

2月2日札幌で櫻井よし子氏を講師とする講演会がありました。主催全日本不動産政治連盟政経セミナーです。近年でも何度か札幌で彼女の講演会はやられています。一度は本人の話をじっくり聞いてみたいと思っていた私でしたので、この機会に申し込みをして出席しました。

「日本の進路と誇りある国づくり」と題する講演、聞いた私の受け止め方は、複雑でした。

かって日本でのエイズ問題では、櫻井よし子氏はジャーナリストとして問題点を指摘し、患者側に立った主張を展開していました。その点で、プラスの役割を果たしたひとりです。当時のエイズ患者川田龍平さんの実名告発が大きく閉塞状況を変えていったエイズ問題でしたが、多くの支援激励の声もあがり、櫻井氏もそのひとりでした。過去の活動のその点については私は肯定的な評価をしてきました。しかし、今回の講演を聞いてみると日本がどうあるべきだといったの面の彼女の主張にはたいへん否定的な評価をすることとなりました。

講演内容は、私の理解を、ひとくちでいえば、ご本人の思い込みを聞かされる場でしかなかったということでした。

実際に講演を聞いていない人に、内容を詳細に伝えることなしに決めつけた言い方で、予断を与えるような発言はするべきではありません。多少講演の要点にふれ、私の感想を述べることにします。

最初は、中国の現最高指導者などについての見方を述べることからはじまりました。講演の過半がそのことに費やされたといっても過言ではありません。それは現トップ習近平氏が中華思想中国共産党礼賛、軍事優先などを就任以来述べており、認められるものではないとの櫻井氏の意見でした。とりわけ尖閣列島では日本側の自制にもかかわらず目にあまる中国側の姿勢と強調しています。一触即発戦争前夜の状況と強調していました。終りには、南京大虐殺慰安婦、これはありもしなかったとし、17条の憲法、5か条のご誓文を持つ日本には考えられないことだとしめくくっていました。これからの日本を考えるうえで、欠かせない点であると。

日本が今中国韓国と領土問題を抱え、その対応に苦労している、それは事実です。しかし、それについては、国内でもさまざまな人が意見を述べ、論議にもなっていることです。石原慎太郎東京都知事が、火をつけ問題をいたずらに感情的に大きくしたことを、指摘する人も少なくありません。何も問題がなかったのに、中国がという論陣は、一面的すぎる主張でしかないというのが私の気持ちです。「大東亜戦争」と称した戦争で、負けたのは米国に対してだけと言うのも、論理の飛躍です。

南京大虐殺慰安婦はなかったとすることにも驚かされました。そう言っている人の実例を目の当たりにしました。かっての「南京大虐殺は幻だった」という本がでたりしてから、南京事件否定論はいろいろ形を変えて出されてきています。各種のそれについては、ていねいな反論が積み重ねられていること、その説得性は、否定論よりもあることを、私なり理解してきました。慰安婦問題についてはなおさらといわなくてはなりません。櫻井氏は自分の思い込みを語るだけの人物であるようです。クリントン国務長官が言った「性奴隷」表現、最近の米国ニューヨーク州議会の日本軍慰安婦問題での決議、それらの重みはきちんと我々日本人は受け止めなくてはなりません。

一方的論難と理屈付けを聞かされたと言う印象をもたざるを得ませんでした。メリハリをつけた話し方はうまい、というべきでしょう。しかし、櫻井流独演ショーの域を脱しない内容は、残念ながら、その見識言動が、適当ではないケースの見本でした。しかし、論証検証抜きの本人の思い込みを、ああまでまくしたてる人がいるのか、の実例という意味では、たいへん貴重な体験をさせてもらいました。

面白おかしく一方的な話をして、自らの「思い込み」を刷り込ませる、そんな独演会のように受け止めてもどることになりました。有名な人の面白いわかりやすい話を聞いた、そうかと額面どおり受け止めたという人もいるでしょう。ファンといった雰囲気もただよわせる人もいたようですから。

過去の歴史から学び今に生かす、その姿勢を決定的に欠いた櫻井よし子氏は、私にとってはもはやジャーナリストではありませんでした。

ひとつひとつにていねいな自説や納得している意見をぶつけていく、相手にも周りにもその態度姿勢を認めさせていく、肝心なことかもしれません。実態をともなわない大風呂敷や大言壮語と考えられる発言には、なぜそう思われるのか冷静な対置意見も相手の数に負けず求められるのでしょう。また、これこれの別な見方や意見がありますということの紹介ももっとしていかなくてはならないようです。

沖縄自治体首長などのオスプレイ配備反対の東京集会がありました。その人たちの銀座デモには、「中国の手先」みなしの罵倒があびせる人もいたとか。顔も名も見えてこないがののしる場には「動員」されて登場する人たちがいるのも現実の一面なのでしょう。しかし、説得力にはおよそほど遠い言動といわざるをえません。それは刷り込まれた「思い込み」での反射行動に走る人も虎の威を借りてならしやすいのでしょう。

私にとっては、自らの「思い込み」ははたしてどうなのかと、反面教師として振り返る機会にもなりました。「思い込み」に「思い込み」をぶつけてみるが、周囲からは理解されない、そんなことにエネルギーを使わないようにしたいものです。こうした見つめなおしと気づきができたという意味では櫻井よし子氏には感謝しなくてはならないかもしれません。

2013年2月5日 世話人