12月15日日本経済新聞27面特集『映画「永遠の0」それぞれの思い』

12月15日日本経済新聞は27面で『映画「永遠の0」それぞれの思い』の1ページ特集を掲載しました。

原作者百田尚樹氏、映画監督山崎貴氏、主演俳優岡田准一氏の3人の談話を掲載しています。原作「永遠の0」は読んでいたので、それぞれの発言を読むこととなりました。映画もまもなく公開ですから、見にいこうと考えています。

放送作家からスタートした百田氏(1956年大阪府生まれ)、いま作家として最も売れている小説を書いているひとりです。

私は百田氏の作品、みっつしか読んでいません。読んだ順序からいうと、「風の中のマリア」「永遠の0」「海賊とよばれた男」です。たまたま「風の中のマリア」をしばらく前に読んでいて、「海賊とよばれた男」が本屋大賞に選ばれたことから、「永遠の0」「海賊とよばれた男」も読むこととなりました。

百田氏「戦争とは深い悲しみ」と題して語っています。1924(大正13)生まれの父が末期ガンを宣告されたことで、50歳目前の自分が書いた初めての小説が、「永遠の0」だそうです。

百田氏の新聞発言本人の思いを100%語っているように思いました。
「(主人公の特攻航空兵)宮部を通し、生きることの素晴らしさを知ってほしい。今の時代、生きるということは当たり前のことで、その喜びに人々は気付かない。」
「20世紀には多くの戦争があった。それぞれ状況が違うが、確実にあったのは、とてつもない悲しみだ。」
引用したくだりは、私も同感するものです。全体を通して発言には、本人の訴えたいことの要約が完成度高く示されていると受け止めました。

でも、私の「永遠の0」の読後感は、泣かされた、切り口が鋭い、一方的に日本軍、特攻を肯定していない、など、読み出して驚き、集中して読ませる、力がある作品と受け止めました。「理想的人間像」を据え、戦後の若者が、当時でも今でも周囲から「不可解」とされた言動の謎解きをしていく、巧みなストーリー展開です。「力作」であることは確かでしょう。「悲しみ」も強く打ち出されています。

しかし、私の読後感の中には、「片目をつぶって片目で見えるものを材料に、現実的でないフィクションだったという気持ちも起こりました。今の時代感覚で狭く描かれた敗戦前の日本、そのなかの人々、がいました。百田氏の設定は、巧みなものです。過去の現実と小説の描いたものとの乖離に著者としては気付いているのかいないのかは別として、百田理想主義の発露された舞台の上でつくり上げられた小説であることも間違いない気がします。

生きたい気持ちを貫けない悲劇、妻などへの家族愛、それはそれで一幅の絵です。しかし宮部久蔵は、この戦争はどういうものなのか、とは死ぬまで気がつかず、私に言わせれば理不尽な死を選びます。例えば、運よく敗戦後まで生きていたなら、彼はどういう人生をおくっただろうかという問いかけの視点は、作者には皆無のようです。「働きバチ」がたどった悲劇をなぞったような作品ではないかとの気持ちが私にはあります。

スズメバチの働きバチ主人公にした「風の中のマリア」と宮部久蔵はどうちがうのだろうと考えざるをえなかったのです。猛烈ビジネスマンの「戦死」を「悲しみ」をこめて歌ってみることと、両方ともあまり変わらないものになっているような気がしました。

戦争を生き残って戦後経済人として活躍をした主人公を描いた「海賊とよばれた男」も、百田氏流の設定と人物像は、やはり重なるものを感じました。戦時経済の働き手としてがんばってきた人間が、屈せず戦後乗り切り役割も果たしていく、活躍がよく「わかる」作品です。読みやすくわかりやすい、難しいかもしれない経済テーマでもそれを示せる、なかなかできない仕事です。でも、戦前戦後の価値観を微塵も変動させず、一徹にスーパーマン的活動をする、というのは、やはり百田氏ならではの、解釈と単純化があるのでしょう。

「涙する」という今自然の感情表現を、小説として引き出せる努力をした実例が「永遠の0」を受け止めました。涙にもいろいろある、それには作品は応えていないようです。「鬼畜米英」とみなされ戦闘で死んでいった米兵や、中国本土で死んでいった中国兵、は場を与えられていません。「東洋鬼」と呼ばれもした大日本帝国軍隊でもあったわけですが。

今の時代、今の憲法を持っている幸せを、かえって私として強く感じた、読書体験でした。平和の大事さ、ありがたさが身にしみました。それは百田氏の意図、希望することとは、違っているようですが。そう読んだ人も少なくないでしょう。あまりピンとこなかったという読者もいましたから。

2013年12月16日 世話人