今回の名護市長選が示しているもの

1月19日、沖縄県名護市で市長選挙の投開票がされました。結果は現職の稲嶺進市長の再選、しかも僅差だった前回初当選のときより相手候補(別人ですが)に大差をつけてでした。

米軍普天間基地の移転先としての辺野古を抱えている名護市、辺野古移転を認めるか認めないかを最大の争点とした市長選挙でした。稲嶺氏は拒否、かたや立候補した新人は受け入れ派、名護市とも縁のある自民党県議でした。日本政府、仲井真沖縄県知事、地元自民党が総力をあげての激戦でした。そして結果がでたのです。どれほど重くその結果を受け止めたとしてもよい、はっきりした名護市民の意思表示でした。

ところが安倍内閣、仲井真知事などは、結果にかまわず、移転強行の構えです。しかし、これほどはっきりした対立の構図はありません。彼らは地元の民意を尊重せず、無視の姿勢なのですから。仲井真知事は、昨年末辺野古移転を推し進める態度をはっきりさせ、安倍首相にそのむね回答しました。直後の沖縄県議会から辞職勧告の決議がだされました。道理がどちらにあるかは、明白と私は考えています。金に釣られない名護市民、沖縄県民の見つめる方向にこそ、未来があるに違いありません。

今の政権党と政府による辺野古移転推進は、「国策」と称される中でもとくにひどいと言わざるを得ません。「間違った国策にはノー、正しい国策にはイエス」、日本国民はそれぞれ主権者として有権者として、自らの判断を行動にみんなが移す時がきたようです。沖縄県だけとか沖縄県民だけとかではない、日本の針路への重大問題であることを直視して。私もそのひとりであることは間違いありませんから。

時まさに、東京都知事選挙、が目前です。1月23日告示2月9日投票日だそうですが、名護市に続いてこの選挙も未来を問う戦いになることは間違いありません。

2014年1月21日 前荷 進

12月15日日本経済新聞27面特集『映画「永遠の0」それぞれの思い』

12月15日日本経済新聞は27面で『映画「永遠の0」それぞれの思い』の1ページ特集を掲載しました。

原作者百田尚樹氏、映画監督山崎貴氏、主演俳優岡田准一氏の3人の談話を掲載しています。原作「永遠の0」は読んでいたので、それぞれの発言を読むこととなりました。映画もまもなく公開ですから、見にいこうと考えています。

放送作家からスタートした百田氏(1956年大阪府生まれ)、いま作家として最も売れている小説を書いているひとりです。

私は百田氏の作品、みっつしか読んでいません。読んだ順序からいうと、「風の中のマリア」「永遠の0」「海賊とよばれた男」です。たまたま「風の中のマリア」をしばらく前に読んでいて、「海賊とよばれた男」が本屋大賞に選ばれたことから、「永遠の0」「海賊とよばれた男」も読むこととなりました。

百田氏「戦争とは深い悲しみ」と題して語っています。1924(大正13)生まれの父が末期ガンを宣告されたことで、50歳目前の自分が書いた初めての小説が、「永遠の0」だそうです。

百田氏の新聞発言本人の思いを100%語っているように思いました。
「(主人公の特攻航空兵)宮部を通し、生きることの素晴らしさを知ってほしい。今の時代、生きるということは当たり前のことで、その喜びに人々は気付かない。」
「20世紀には多くの戦争があった。それぞれ状況が違うが、確実にあったのは、とてつもない悲しみだ。」
引用したくだりは、私も同感するものです。全体を通して発言には、本人の訴えたいことの要約が完成度高く示されていると受け止めました。

でも、私の「永遠の0」の読後感は、泣かされた、切り口が鋭い、一方的に日本軍、特攻を肯定していない、など、読み出して驚き、集中して読ませる、力がある作品と受け止めました。「理想的人間像」を据え、戦後の若者が、当時でも今でも周囲から「不可解」とされた言動の謎解きをしていく、巧みなストーリー展開です。「力作」であることは確かでしょう。「悲しみ」も強く打ち出されています。

しかし、私の読後感の中には、「片目をつぶって片目で見えるものを材料に、現実的でないフィクションだったという気持ちも起こりました。今の時代感覚で狭く描かれた敗戦前の日本、そのなかの人々、がいました。百田氏の設定は、巧みなものです。過去の現実と小説の描いたものとの乖離に著者としては気付いているのかいないのかは別として、百田理想主義の発露された舞台の上でつくり上げられた小説であることも間違いない気がします。

生きたい気持ちを貫けない悲劇、妻などへの家族愛、それはそれで一幅の絵です。しかし宮部久蔵は、この戦争はどういうものなのか、とは死ぬまで気がつかず、私に言わせれば理不尽な死を選びます。例えば、運よく敗戦後まで生きていたなら、彼はどういう人生をおくっただろうかという問いかけの視点は、作者には皆無のようです。「働きバチ」がたどった悲劇をなぞったような作品ではないかとの気持ちが私にはあります。

スズメバチの働きバチ主人公にした「風の中のマリア」と宮部久蔵はどうちがうのだろうと考えざるをえなかったのです。猛烈ビジネスマンの「戦死」を「悲しみ」をこめて歌ってみることと、両方ともあまり変わらないものになっているような気がしました。

戦争を生き残って戦後経済人として活躍をした主人公を描いた「海賊とよばれた男」も、百田氏流の設定と人物像は、やはり重なるものを感じました。戦時経済の働き手としてがんばってきた人間が、屈せず戦後乗り切り役割も果たしていく、活躍がよく「わかる」作品です。読みやすくわかりやすい、難しいかもしれない経済テーマでもそれを示せる、なかなかできない仕事です。でも、戦前戦後の価値観を微塵も変動させず、一徹にスーパーマン的活動をする、というのは、やはり百田氏ならではの、解釈と単純化があるのでしょう。

「涙する」という今自然の感情表現を、小説として引き出せる努力をした実例が「永遠の0」を受け止めました。涙にもいろいろある、それには作品は応えていないようです。「鬼畜米英」とみなされ戦闘で死んでいった米兵や、中国本土で死んでいった中国兵、は場を与えられていません。「東洋鬼」と呼ばれもした大日本帝国軍隊でもあったわけですが。

今の時代、今の憲法を持っている幸せを、かえって私として強く感じた、読書体験でした。平和の大事さ、ありがたさが身にしみました。それは百田氏の意図、希望することとは、違っているようですが。そう読んだ人も少なくないでしょう。あまりピンとこなかったという読者もいましたから。

2013年12月16日 世話人

ウェブサイト『fight for justice  日本軍「慰安婦ーー忘却への抵抗・未来への責任』開設される

ウェブサイト『fight for justice 日本軍「慰安婦」−−忘却への抵抗・未来への責任』が開設されました。吉見義郎中央大学教授やフリーライター西野瑠美子さんが中心となって立ち上げたようです。(http://fightforjustice.info)

最大のミッションは「日本軍『慰安婦』問題の解決をめざし、日本軍『慰安婦』制度に関する歴史的な事実関係と責任の所在を資料や証言などと明確な出展・根拠をもって提供すること」としています。見ましたが、その言葉どおりでした。維持拡充に、さらに期待したいと思いました。

インターターネット上で、「慰安婦」についての「意見」開陳のサイトがあります。それらを判断していくための欠かせない「意見提起・論点整理」されたものです。確認したうえで自分の意見言っているのかと問われる必須のサイトとなるでしょう。それだけ共有するものを確かめあいながらものを言っていくことが求められている問題ですから。

橋下徹大阪市長従軍慰安婦発言に関するサンフランシスコ市議会からの批判に反論書を出したそうです。過去の発言からも橋下氏こそ、しっかり見なければならないのがこのサイトではないでしょうか。こうした日本人からの意見疑問反論にきちんと答えることが、まず第一にすべきと私は考えるのですが。勉強してもらわなくてはなりません。まともには答えられそうもないので、まとはずれにサンフランシスコ市議会への「反論書」にはしったのでしょうか。日本人に恥をかかせるような行為かもしれないという内容チェックは、自分のこととしては橋下氏には働く余地はないのでしょうか。

余談ですが「fight for justice」という歌があることを知りました。「仮面ライダーキバ」の名護啓介の持ち歌(?)で、作詞藤林聖子、作曲鳴瀬シュウヘイだそうです。

2013年8月24日 前荷 進


7月29日麻生太郎副総理発言

7月29日、麻生太郎副総理(自民党)が、「国家基本問題研究所」のシンポジウムで、「問題発言」を行いました。

『(ドイツでは)ある日、気がついたら、ワイマール憲法もいつの間にナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね』(赤旗日曜版8月11日号)との発言を行いました。海外マスコミはじめ多くの批判の声があがることになりました。

ナチスによる戦争犯罪の追及を続ける民間団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部=米ロサンゼルス)は7月30日、抗議声明を発表。「ナチスが権力を握り、世界を地獄の底に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」と強調しました。』(同)

『彼は日本人の顔に泥を塗りました。(作家 米谷ふみ子)』(同)

麻生氏、批判の高まりの中、該当発言部分は「撤回」しましたが「謝罪」していません。「誤解」を与えた発言と、ごまかそうとしているように思えます。

日本国憲法を変えようという主張をしている麻生氏らは、国会の改憲決議要件緩和を主張しています。安倍首相、麻生副総理などの改憲の考えは、よくよく眉につばをつけて、見ていく必要があることが、ますますハッキリしたのではないでしょうか。

敗戦に至るアジア・太平洋戦争は「15年戦争」とも言われてきました。「15年戦争肯定論」であることを、率直に私に明らかにした麻生氏。少なくとも日本人だけは、発言をとがめず忘れてくれることと、思っているのでしょうか。ご本人の認識、たいへん楽天的と受け止めざるをえません。いいのがれとごまかし、争点ぼかし、で、安倍氏麻生氏の本音、ずるさを、いつまでも見抜けない日本人ではありません。

それはまったく間違っていると言わなければならないでしょう。私も、米谷さんと同意見ということを理解しました。恥をぬぐう努力は、していかなくてはなりません。世界からバカにされ、心配される日本では、未来は暗いですから。

憲法9条の持つ意味を改めて教えてくれた出来事でした。現憲法を受け入れた先人に学ぶ時です。

2013年8月9日 世話人

参議院選挙真っ最中です

7月4日告示、7月21日投票の参議院選挙が今激しく戦われています。

論点争点は非常にあると考えていますが、メディアを読んだり見たりする限りでははっきりしたものがあまりみえません。これは、大手メディアなどが立ち位置をきちんとしていずに、いわゆる政局報道にまだおおきな比重をおいていることもあるのかもしれません。

今回の参議院選挙では、インタネットが解禁された始めての国政選挙となりました。政党や候補者ではない人たちも制約制限はあるにしても、自分としての意見・要望などを発信できるようになりました。かなりさまざま多様な発言、意志表明が行われています。大手メディアの報道以外でも目をこらせばつぶやきを捉えることができるようになってきているようです。また発信情報は後に残ります。そのときどうだったのか、それがどうなっているのかなど、確かめながら考えていくことがひろく可能になりました。

原発、消費税、TPP,沖縄など、重い課題もあるわけです。ムードとかに流されない投票になるよう、私も自戒です。

最近報じられている、福島原発の観測井戸での放射能汚染数値の大きさ、これもどういうことなのか、注目です。私の考える最悪の場合は、封じこめられていなくて、事故原発から放射能汚染が地下水脈を通して拡散されていたケースとなることです。このことについて東京電力などの説明ははっきりしたものではありません。心配性と言われるかもしれませんが、前の野田内閣の「収束宣言」、今の安倍内閣の「再稼動路線」、どうにも理解できない気持ちです。結局その場しのぎの対応を、私たちは追認させられているのかもしれません。

「正しい国策」にはイエス、「間違った国策」にはノーが、国民ひとりひとりが持つべきことではないでしょうか。もちろん何が正しいか間違っているかの判断を持った上でですが。まさに原発、もです。

2013年7月13日 世話人

橋下徹従軍慰安婦発言、ますます国際問題に

橋下徹大阪市長日本維新の会共同代表)が行った発言いよいよ国際問題になりました。5月27日日本外国特派員協会(東京)で記者会見し、海外メティアに対し弁明に努めました。しかしそれに対しての外国メディアの反応評価は、厳しいものでした。自身の「従軍慰安婦見解」に関して、謝罪も撤回もしていないのですから当然でしょう。

5月30日、英国・北アイルランドベルファストの国際会議に参加していた、女性ノーベル平和賞受賞者の5名が連名で「従軍慰安婦は必要だったとする橋下徹大阪市長の発言」を非難する声明を出しました。31日現在、毎日新聞などが伝えています。とうとうここまで、が率直な実感です。

イランのシリン・エバティさん、北アイルランドのマイレッド・コリガンマグワイアさん、グアテマラのリゴベルタ・メンチュウさん、米国のジョディ・ウィリアムズさん、リベリアのリーマー・ボウイーさんです。

毎日新聞インターネット版より、声明内容部分を引用します。

『声明は、「戦時における『性の奴隷』は、今日では戦争犯罪と規定されている」と指摘し、「私たちノーベル平和賞受賞者は、いわゆる従軍慰安婦制度を『必要だった』などとした橋下市長の発言を最も強い言葉で非難する」とした。

そのうえで「性暴力は紛争後も被害者や社会に、長期間にわたって深い傷を残す。慰安婦への罪は故人や家族に大きな痛みを与えるだけでなく、東アジアの緊張を高め不信を増大させることになっている」として橋下市長に発言の撤回と十分な謝罪を求めている。

また声明は、日本政府に対し、戦時におけるレイプや性暴力を停止させるための政策推進を求めるとともに、日本の市民に対し、性暴力に反対する声を結集するよう呼びかけている。

声明発表後、ジョディ・ウィリアムズさんは、「性暴力は戦時においても、必要ではなく容認もできるものではない。日本政府は、紛争時の性暴力を禁止する主要8カ国(G8)宣言を支持している。私たちは(橋下)市長が、この動きを支持することを期待する」とコメントした。』

昨30日、大阪市議会は、自民、共産、民主党会派の共同提案による問責決議案を、維新公明両党で否決しました。問責決議案が可決成立すると、橋下市長が辞職そして自身も立候補した市長選を行うとの維新の会幹事長の松井大阪府知事の発言がありました。それから公明党が一転問責反対の態度をとったからです。橋下共同代表のいなおりを是認する維新の会はとにかく、市議会公明党のとった態度は何を考えているのかわからない面妖な行動でした。

しかし、市議会での否決の事態は、ますます問題を大きくしてしまったのです。「日本人の品格」を貶めた国辱発言を、日本政府さらに日本人はぬぐう責任がますます大きくなる事態に直面させられてしまいました。安倍晋三首相も改めて国際社会にかけた迷惑と国際社会の不信を、解きほぐすことをしてもらわなくてはなりません。総理大臣の仕事です。彼の従軍慰安婦解釈がどうあれ、謝罪とお詫び橋下発言糾弾を含め国内外を納得させる努力をしてもらわなくてはなりません。

橋下徹氏は一日も早い市長辞職しか道は残されないこととなってしまいました。ご本人がそれをわかっているかどうか。取り巻きも、苦言叱責や辞任をすすめることはしていないのでしょうか。

2013年5月31日  世話人

天皇の政治利用は憲法違反

4月28日に「主権回復の日」と称する式典を、安倍内閣は、政府行事として行おうとしています。天皇の出席も予定されているとか。

沖縄では「屈辱の日」とされる4月28日なのに、「主権回復の日」する認識は私にはたいへん違和感があります。そのひとつに、天皇の政治利用ではないかとの疑問も発生したことがあります。それが当たっているとすれば、現日本国憲法から照らすと憲法違反の疑い濃厚ではありませんか。

私の危惧、懸念に対し、志位和夫日本共産党委員長が、見解を発表しました。4月23日しんぶん赤旗の報道で、その詳細を伝えています。「憲法に反する天皇の政治利用をやめよ − 『主権回復の日』式典の中止、天皇に出席を求める方針の撤回を要求する」です。1面トップの全文は、たいへん妥当な認識と要求内容と受け止めました。さらに2面では記者会見での質問とそれに対するやりとりを掲載しており、これも懇切な内容でした。私も勉強になりました。やりとり引用します。

「質問)天皇が仮に(式典に)出席しなかった場合には、安倍政権の責任ということになりますか。

志位)その場合は、責任はあげて安倍政権が負うことになります。
憲法が定めている『国事行為』については、天皇の意思が介在する余地はありません。天皇の意思によってこれを行うこともできませんし、これを行うことを拒否することもできません。すべては『内閣の助言と承認』によって行われます。
私たちは、それ以外のいわゆる『公的行為』について、『国政に関する権能を有しない』という憲法の規定に反するものでなければ、一概に反対するものではありません。たとえば天皇が大震災の被災地を訪問したり、追悼式典に参加することなどを、否定するものではありません。
ただ、今回の式典のような、明らかな政治的意図をもったもの、国民のなかで意見が分かれるようなものについて、天皇の出席を求めることは認められるものではありません。
仮に天皇の側が、『式典に参加しない』という判断をした場合には、憲法第4条の『国政に関する機能を有しない』、憲法第1条の国民主権にもとづく『国民統合の象徴』、憲法第99条に規定されている天皇憲法遵守義務にかなった判断として、当然の判断ということになります。
天皇が仮に出席しなかった場合には、その責任はあげて、憲法に反する行為を天皇に行わせようとした安倍内閣が追うことになります。

質問)安倍内閣が行おうとしていることは、天皇を傷つけることになるということでしょうか。

志位)憲法上、天皇は、国民主権主義にもとづく『国民統合の象徴』とされています。その天皇に国民世論が割れている行為を行わせたり、政治利用をはかることは、『国民統合の象徴』としての天皇の立場を損なうことになります。
天皇を政治利用するな』『天皇を巻き込むな』という声が、国民の中で起こっていますが、これは当然の声だと思います。」

たいへんいきとどいた回答をしていると思いました。このほうが国民の常識であることでしょう。安倍晋三首相、まことに不確かなこじつけで「式典」、沖縄は当日抗議集会とか。安倍内閣の迷走この点でもはじまったのではないかと考えたのは、考えすぎでしょうか。

幕末期、薩摩長州などの志士たちは、当時の天皇のことを「玉、玉」と呼んだそうです。利用できる要石と考えたこともあったのでしょう。安部首相が、さらに俗な天皇利用を発想したとは思いたくないのですが。歴史から学ぶ、彼に求められる点であるかもしれません。しばらく前の日本は、天皇の名前を使えば国民にひどいことも強いれた時代があったのですから。

2013年4月24日 世話人